楽しい思い出  
              
      昭和40年私は16歳。

山口県光市

 昔は、良かったと思うのは、歳を取ったせいでしょうか。
今の、殺伐とした社会を思うとどうしても昔は、良かったと思わざるを得ません。16歳、 孤独な時、単車(オートバイ、バイク)は、いつも私のそばにありました。
 バイクに乗って初めて法律を意識し世の中のルールを知りました。またお巡りさんとのやり取りや、多くの知らない人の親切に出会います。そういう意味では、今の高校生は、可哀想です。
 何かあったらすぐ禁止。これは、大人の責任回避の何ものでもありません。籠の鳥が12年も16年も続けば、人間としての経験不足で、世の中、上手くいくとは思えません。 中学生や高校生もアルバイトなどして、他人(社会)と早くから交わる方が良いと思います。目上、目下の関係がわからないから大事件になるのではないでしょうか。またお金に対する意識もかわるでしょう。
ボランティアは、似て非なるものと思うのですが。
昭和40年前後は、まだ貧しい時代です。
今こんな事をして遊べば何10万円とかかるでしょう。しかし、先輩達の苦肉の策をたくさん見て来て、たくさんの知恵や経験をもらったのでとても楽しい思い出があります。このとき既に、ヤスリでヘッドを削って圧縮を上げたり、二次圧縮まで操作していました。もともと只で手に入れたものですからやりたい放題です。圧縮漏れには、泣かされました。石鹸水を付けると必ず泡が出ます。しかし、爆発は、一瞬ですからそれなりにパワーは、出ます。これがたたり光高校は普通科でしたがその後、自動車工学を専攻します。「レストランじゃないの?」「いいえ 今は、不動産屋です。」

ヤマグチ(メーカー名)50をレーサーに改造中、    ゲームより面白いよ。

試運転
ハンドルを逆に付けて
ドロップハンドル。

下の文中に出てくるトーハツバイクでは、ありません。トーハツは、残念ながら写真がありません。

 この頃やたら多いのがお巡りさんとのやり取り。よく自転車屋さんでバイクの修理のアルバイトをしていました。試運転でパトカーとすれ違い。そして、マズイ事にUターンしてきました。「このバイク、ナンバーがないが?」「今、アルバイトで試運転中です。」「早く、店に戻りなさい。」こんな事もありました。昭和は、いいな。
スズキ :セルペット50
セルペットと言うぐらいだから当然セル付き。
こういうビジネスバイクは、若いから当然好みではないが、金がないので言っていられない。混合ガソリン。 ヘルメットも強制保険もない時代。
  写真も白黒。
若い人が見たら随分昔に思えるのでしょうね。私が、大正時代を連想する感じですかね。

 
昔のバイクは、定期的にプラグの清掃、ポイントの研磨、点火時期の調整。結構手がかかります。タイミングライトで点火時期もみます。プラグやポイントは、交換しても取っておきます。ブレーキシューが磨耗したら、前後を交換してシューを延命します。

ポイント:クランクシャフトの回転を利用して、点火プラグの火花を散らすためのタイミングを制御します。高電圧で接点がすぐ痛みます。ポイントレス(トランジスタ点火装置)は、画期的です。メンテナンスフリーになります。
            白バイも面食らう大改造   初恋バイク トーハツ125  

                
16歳になると、すぐ原付2種の免許を取りました。昭和40年、39年前の話です。

あのころは、ノーヘル、自賠責なし、原付2種速度制限40km。まだカローラやサニーのない時代、バイク全盛といったところ。ホンダスーパーカブ 5,5000円と記憶しています。今18万円。
その頃、バイクは、八百屋、側車を付けた畳屋、魚屋、パン屋、リヤカーを引くバイクなどで殆どのバイクが 荷台付きで働いていました。それも、125cc以下、スズキのコレダ号、ホンダのベンリーなどです。昔の人は、たくましいと思います。初任給13800円という歌があったような気がします。

私はといえば、免許は、とったが、親は、16歳の私に金を出すはずもなく、私自身金もない。あの頃は、どの家にもバイクはあり、不要になったと見られる錆びたバイクが玄関口に結構ありました。「あのバイク要らないのなら私に下さい。」と片っ端から尋ねまくりとうとう、トーハツ125を手に入れました。
しかし、そのバイクは、更に10年以上前のバイクでクランクプーリーとギヤボックスが二本のVベルト、ギヤボックスからチェーン。おまけに型が悪い荷台付きです。(そのとき既にトーハツは、倒産していた。)

 
そこで、スクラップ屋めぐりをして、ヘッドライトは、ヤマハ、シートは、ホンダのWシート、車体に変更。ナンバーは、よそのおじさんが「これでも付けちょけ。」と言ってくれたナンバーを針金で括っていました。(自賠責保険がない時代でナンバーさえあればよい。)リヤフェンダーを短く切ったので、尾灯、方向指示器はありません。 その精悍さ。もうサイコ−の仕上がりで ブレーキを踏むとマフラーをふさいでいた穴が開き、すごい音がします。

ところが 山口県新南陽市(現周南市)の山奥でおばあさんに呼び止められて手紙を託されます。
めまいがした。メンツ丸つぶれ。この最高傑作が郵便車に見られ、一生忘れられないショックを受けました。 それから、途中で出力が出なくなり、どうしようもないので国鉄戸田(へた)駅でナンバーを外して、別れを告げることに。(押して帰るには、遠すぎる。業者に頼む金も無い。)
しょげて帰った私の話を聞いた父は、後日、父の会社の人に頼んでトラックで取りに行ってくれた。嬉しかったのなんの。壊れたと思ったバイクは、一発でかかり、実は、オーバーヒートしていた事が後でわかります。

   ここで今も生きている大きな教訓を得る。
有ると無いでは、大違い。だが新型が有ると旧型が有るのは、殆ど違わない。金言?作:三木 秀夫

あるとき、白バイに止められ「このバイクのメーカは、一体どこかね。昼だから尾灯は、なくても良いとしても。・・・しかし、こんなバイクに乗ってもいいのかなー。」とお巡りさん。ライト試験、ウインカーがないので、手を、上や、横に出す方向指示の練習の末、無罪放免。ところが帰りのトンネルでは、点灯せず。アブナカッタ。

ある日、友人が、山口市の姉さんの所へ、金を借りに行くから乗せて行ってくれ・・。すると防府市の手前で検問に引っかかり、「こんな危ないバイクに乗っては、イケナイ。」お巡りさんは、トラックを止めてバイクごと光市へ強制送還を試みます。生憎光市は、2号線ではなく188号線でその方向へ行く車がありません。二人共金が無いのでバスで帰ることもできません。
 困ったお巡りさんは、10km走行で許可。必死の説得で光方面ではなく山口市行きOK。整備不良用紙クルマ用で該当欄がなく、結局「車枠」で切符を切る。「バイクに、「車枠」があるか。クソー。」見えなくなるまで、10km後は、あとは出るだけ飛ばして、(と言ってもあまり出ない)山口市へところが彼の姉さんは、不在。帰りは、Vベルトが滑り出し、松脂を塗る。 車枠は、無いので復元不可能、泣く泣く友人に譲渡しました。  
ところで今の16歳こんな事できるかなぁ。

NEWS:このページを掲載して2年たった先日、土木業を営むSさん(同い年、中学高校が違う。友人の友人。)私の事務所でバイクの話になって、驚いたことに、私の友人から上のトーハツを譲りうけたそうで、彼は、もともと私のバイクと言うことを知っていました。彼の家は、山奥で、高校通学時そのバイクでふもとのバス停まで無免許で乗っていたそうです。ところが、近所の人が、警察へ訴えてバイクを取り上げられたといっていました。

私の時は、県の免許場へ免許を取りに行きましたが、私が、小学校の時は、警察署の駐車場へ縄を引いて試験をしていました。警察官が、「お前はなかなかうまい。」などと言って免許をくれたそうです。練習は、小学校のなどの運動場です、結構無免許もいたようです。

今は、一人で路上に立って取り締まりをする風景をあまり見かけませんが、当時は、よく立っていました。すると、必ず子供ですから停止を命じられて、一言二言注意を受けます。おまわりさんとも顔なじみになります。あるとき、ツッカケで乗っていました。「これは、違反だが裸足は違反ではない。」 私が横を向いている時に行きなさい。こんなこともありました。そうすると二度とツッカケでは乗りません。子供は、大事に育てられていたようです。

友人の
兄貴のバイク

自動2輪 
ホンダCP77
 305cc OHC

180度クランク
最高速度160km
ホンダの最高峰
昭和42年頃 
      無免→

ポーツカブ55
今のカブは、OHC だが
これは、プッシュロッドがあったと記憶しているので、OHVだったと思う。

当時、「リトルホンダ」 と言う歌がアメリカでヒットチャートに上位ランクされた。

岩国市を二人乗りで走っていると、米兵から手を振られたりした。

しばらくして、ヘルメットをかぶりましょうという時代になった。初めは、警察署で売っていた。
 ノーヘルで走ると最高にいい気持ち、飛ばすと涙がでた。

そして今、相次ぐ法令の改正で私の原付2種免許は、自動的に大型自動2輪免許になった。
 行きつけのスクラップ屋のおじさんにスクラップ(ヤマハベルーガ80)を買わされて?12年くらい前からまたバイクに乗り始めた。
 今あるのは、ホンダベンリーCD125Tと初めての新車カワサキW650。するすると走り出したW650、バイクの免許制度に疑問を持った。 バイクは、技能より心で乗る「乗り物」。  しかしイツまでもバイクに乗るためには、それなりの体力が必要です。自転車に乗ったり腹筋や腕立て伏せは欠かせません。   

原付2種は、16歳になってすぐ山口市の免許試験場で実技2回目で合格。
普通車
18歳になってすぐ山口市の試験場で実技試験の時、試験官が「そこをまわって帰りなさい。」不合格、
 
何度かチャレンジしたが、「そこをまわって帰りなさい。」不合格。
「最後まで走らせろ!」ムカッ
(むかつく)ときた。が当時は、練習しようにも車がないので観念して19歳で自動車学校へ。

バイクとは、関係ないけど・・・読んでね。
船舶:
4級の後、9年前、1級小型船舶操縦士:(世界中航海可)福岡県で2日間の試験の内、半日もある実技試験の時、 変だと思った試験官が「ところであなたは、どこの(船舶教習)学校を出たのかね 。」「独学です。(キッパリ)」1発合格  これは、快挙だ。合格した時3ヶ月くらい笑いが止まらなかった。
  お金を掛けず努力することが大切! ご覧頂き有難うございます。

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